楽しく食事をして深夜、帰途で開いたメール。あっ、来てしまった…とすぐにわかりました。友だちのご主人の名前で「ご報告」と。
大学の同じクラスで隣り合わせた彼女は、丈なすみどりの黒髪に桃のような肌。ガム食べる?と聞いたら、お母様から刺激物を禁止されていてメントールと炭酸飲料はだめなの、と。なんて雅な、動くおひなさまみたいと驚いたものでした。
わたしはと言えば、母好みのDCブランドの奇抜な服を着て周囲から激しく浮いていたけれど、なぜか気が合って。しばらくして同時に心酔したファッション誌「ヴァンテーヌ」をバイブルに同じおしゃれをするようになり、見た目も姉妹のように過ごした学生時代。大学に近かったわが家によく泊まるようになり、お酒も刺激物もわたしが教えてしまったので、お母様はハラハラしていたんじゃないかな。
卒業旅行は、わたしが留年したので2度一緒に。1回目はフィンランド、2回目はミラノパリ。トナカイ橇で雪原飛ばしたね、サウナで霧が晴れたら隣におじさんがいてびっくりしたよね、ミラノで持ちきれないほどバッグ買ったね…とたくさんすぎる思い出。
就職後も旅行したりよく会っていて、ある日、普段は飲んでも穏やかな彼女が珍しく酔っ払い、迎えに来た同僚の男性を紹介されてびっくり。その方とアフリカで2人きりの結婚式を挙げたとき、大切なことも騒がず静かに貫く彼女の、芯の強さを感じたものでした。
お料理レッスンにもたまに参加してくれて、誕生日にはメールを送り合っていたけれど、6年前に「ちょっと具合が悪くて治療頑張ってるよ、元気になったら会いたいな」と報告がありました。この数年は返信も来なくなり、ふとした瞬間に気になってご主人に連絡をと思ったり、でも調子が悪い時にたずねてこられるのも嫌だろうなと思い直したりの繰り返し。
そうしたら、来てしまった。昨年の秋には、旅立ってしまっていたと。
報せを聞いて1週間、予定が多い週で助かったのです。さらに運動の予定も入れて通って体を動かしていると、そこでは一瞬、思い出すのをやめられる。
数年も会っていなくてその前もたまにだったのだし、生きてても会わなくなった友達もいるのだから、この世と空にいるのはさほどかわらないのではと思っていたけど。
もういない。もう会えない。最近何を思っていたのか聞けない、というさみしさ。
SNSで元気いっぱいに飲み食いするわたし、彼女にはどう見えていたんだろう。元気でうらやましいと思わせてしまってなければいいのに…いや、彼女なら。
わかってる、ゆきえは昔からけっこうがんばっちゃう方だから。でもあんまり無理しないで、からだ気をつけてよね。応援してるよ。
勝手にアテレコ。でもきっと、そう言ってくれたと確信できるほど互いをわかっていたし、変わらず歳を重ねてきたはず。
もう会えないけど、励まし続けてくれる。
そんな彼女と出会いたくさんの時間を過ごせて、ずっと心の中にいてくれることに感謝しながら、わたしも亡くなるその日まで、彼女がしてくれたように身近な人を照らし励ましながらがんばらなくちゃ。
うるちゃん、ありがとう。
いつか向こうで会えたら、思い出のヘンケルトロッケンで乾杯しよ。
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