なぜ書こうと思うのか

間が空くと、何を書けばいいのかわからなくなりますね。
中年にとって厳しい夏の楽しい思い出を綴りたいとおもっていたのにもう冬ですよ。

解を得ようと昔のわがブログ(現在非公開)を読み返せば、気負いなく書いてて面白い。
むすめ2まだ8ヶ月かぁ。これが若さか! あーオモロ・・・と読み込んでいたらあっという間に1時間、いかんいかん。
今さら若き日の自分を模倣してどうすると自戒し、なぜこんなものを書こうとするのか考えてみました。

20年前ブログを始めたのは、年子の子育てで世間との断絶を感じており、なんとか友達と繋がりたかったから。読んでくれる人が増え、反応もうれしくて続けてこられました。
でも今は? 
SNSの短い発信で繋がれて反応も得られるのに、なぜ敢えて、書こう、書かなきゃと思うのか。

「くっきりとのこしたい」ということかも。
幸いにも愉快な人生なのに、歳を重ねるごとに加速して日々が矢のように過ぎ去り、忘れてしまうから。
わたしはよく飲み会でみんなの写真を撮るタイプですが、楽しくて幸せなこの瞬間を止めたい! と強く願っているのだと思います。そのくせ殆ど見返さないけれど、カメラロールから「あの日」とgoogleが取り出して教えてくれると、楽しかった(時には大失敗して辛かった)気持ちまで蘇る。
写真でさえそうなので、書いてみると、感情がさらに増幅されくっきりする。
同じ体験でもぐっと濃縮されるような、その過程が好きなのです。

そうか、自分のためか
また、誰にも頼まれてないのに「書かなきゃ、でも書けない」と苦しむのは不毛の一言。
書きさえすれば、自分がすっきりする。宿題を溜めずに、やるべきことをやっていると思える。

つまりすべて自分のためでした。もう書くしかない。

でも面倒くさい
人生の成功(とは何を以てということはともかく)を阻む最大の障壁は面倒くさいという感情らしい。
旧友によく言われた(もはや最近は言われることもなくなった)言葉、
「あなたはさ、続けることができればすごいものもってるのに!」
わかってるんです。センスとかすごい感性、とかより、続けられることこそ才能。
でも、面倒くさい。お酒でも飲んでしまえばすべてが面倒。お風呂や洗顔さえも面倒、実は寝るのも面倒なのでいつのまにか横になっている。何かをやろうという気持ちが常に起きません。

がんばるぞ
これはだめなわたしだけでなく、大作家でも同じようで、書き続けている人は自分のシステムを作り守っているとお見受けしました。
システム、それは計画表と締切を作ること。
やっぱり、飲んでない朝がいいのかも。PCを開くの面倒だからスマホ投稿がいいのかも。モペラっていうのも持ってたけどメルカリ出しちゃったしな。
などとぐるぐる考えてる間に書く、とにかく書く、どこからでもいいから書いて投稿する。
そうしたら見えてくるものがあるはず。
明日には忘れている可能性が高いこの決意、でも今の気持ちなので、のこしておこう。

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